僕の玩具




「ぼくが大きくなったらぼくのお嫁さんになってくれる?」

きらきらと瞳を輝かせ、小首を傾げて見上げる幼い子供は無邪気に微笑んでいた。
皇族には珍しい母親譲りの漆黒の髪と、父親譲りの紫色の瞳が生まれ持つ彼の気品をより一層引き立たせている。

クロヴィスは動かしかけた駒を持った手を空中で止め、今対峙しているチェスの相手である幼い弟を凝視した。
子供特有の大きな瞳で真っ直ぐに見つめているルルーシュの愛らしい顔に視線を釘付けにされたクロヴィスの頭は弟の不意打ちとも思える言葉の真意を理解しようと、目まぐるしく回転した。
ついさっきまで集中していたチェスのことなど、まるっきり彼の頭からは消え去っている。

「どうしたの?クロヴィス兄様」

鈴を転がしたようなルルーシュの声に我に返り、動かしかけた駒を戻して盤上に視線を向ければ、追い詰められているのは明らかにクロヴィスの方で、ルルーシュの方が圧倒的に有利な展開になっている。
だからさっきのルルーシュの不意打ちの言葉は、クロヴィスを混乱させるためのものではないことは確かな事実だ。
そもそも、クロヴィスはこの幼い弟にチェスで一度も勝ったことがない。
小細工など必要ないはずである。
そう思い当たって、クロヴィスは再びルルーシュの顔に視線をもどした。
その表情から何かを読み取ろうと思ったのだったが、無邪気な愛らしい瞳と視線がぶつかって、思わずクロヴィスの頬に朱がのぼる。
クロヴィスがこの愛らしくも凛とした弟が可愛くて仕方がないのは周知の事実で、ほとんど毎日のように弟の住まう離宮に足を運んでいた。

「・・・クロヴィス兄様・・・ぼくのお嫁さんじゃ嫌?」

大きな紫色の瞳を潤ませて、いつも自信満々のルルーシュの口調とはまるで違う細く不安そうな、今にも泣き出してしまいそうな声にクロヴィスは思わず焦った。

「可愛いルルーシュの願いならなんでも叶えてやりたい」

それが彼の口癖なのだ。
だからクロヴィスはこれまで何度もルルーシュの我侭をきいてやっていたし、自分のできる範囲内で大抵のルルーシュの望みは叶えてあげていた。
しかし、第三皇子が第十一皇子の嫁になるというのはどう考えても無理がある。
少々頭の弱いクロヴィスでもそれくらいは理解できる。
が、
ポロポロと大粒の涙がルルーシュの瞳から零れだし、

「そうだよね・・・そんなことどう考えたって無理だよね・・・ぼくはクロヴィス兄様のことこんなにも好きなのに・・・兄様は、兄様は・・・ッ」

涙で声をつまらせる弟は、ついにうつむいてしまった。
その肩が小刻みに震えている。

―――嗚呼・・・私はなんということを・・・可愛い私のルルーシュを泣かせてしまった・・・

ルルーシュの儚げなその姿に、クロヴィスは酷い罪悪感に捕らわれた。
そして、静かに椅子から立ち上がるとルルーシュの傍に寄り床に膝を落として、涙で濡れた弟の頬に手を翳し、クロヴィスは少し困った表情を浮かべながらルルーシュの顔を覗き込むように見つめた。

「・・・ルルーシュ」

優しい声で愛しい弟の名前を呼べば、ルルーシュの肩がピクリと震えた。
そして、俯けていた顔を不意に上げ、まだ涙の渇ききらない潤んだ瞳で真っ直ぐにクロヴィスを見つめ返した。

「クロヴィス兄様は本当はぼくのことなんか嫌いなんだよね?だから・・・!!」

再びルルーシュの瞳から涙が零れた。

「そ、そんなことはないッ!!私はおまえのことが大好きだよ!嘘じゃない本当だ!・・・信じておくれ」

クロヴィスのその声は明らかに動揺している。
ルルーシュはクロヴィスの言葉を疑うように小首を傾げ、小さな声で「本当?」と尋ねた。
あまりにも幼くあまりにも愛くるしいその表情にクロヴィスは眩暈さえ感じた。
だから、

「じゃぁ・・・ぼくが大きくなったらお嫁さんになってくれる?」
「ああ、ルルーシュが大きくなったら私がおまえのお嫁さんになってあげるよ・・・」

思わず、自分でも訳のわからないことを口走ったことに、クロヴィスは気づいていない。

「本当にぼくのお嫁さんになってくれる?嘘じゃない?」

疑うようなルルーシュの言葉に「私がルルーシュに嘘をついたことがあったかい?」と、優しい笑みを浮かべた。
その言葉を聞いてルルーシュは歓喜の表情を浮かべて、屈みこんでいるクロヴィスの肩に抱きついた。

「クロヴィス兄様大好き!!約束だよ?」

兄の耳元に唇を寄せて、甘い吐息交じりにそう囁くと、クロヴィスは満足そうに「うんうん」と頷いた。










「モロッコだ!!」

ルルーシュのいる離宮から自分の居城に戻ったクロヴィスは舞い上がっていた。
ご機嫌で帰城した主の突然の「モロッコ」発言に、クロヴィスの側近達は訳がわからず度肝を抜かれた。
が、しかし離宮から戻った主の唐突な行動は今に始まったことではない。

「またルルーシュさまになにか吹き込まれたのだ」

と、これまでの経験から大体の察しはついている。
その場にいた家臣は皆深い溜息を吐いた。
しかし突然の「モロッコ」発言は理解できない。
その真意を確認するためにも直接クロヴィスに問いただす必要があった。

「モロッコですか?」
「そうだモロッコだ!モロッコがダメならシンガポールでもいいぞ!!すぐに出立の準備をしろ!」

そう言ったクロヴィスの目の輝きが尋常ではない。

―――これはなにか大変なことをルルーシュさまに言われたに違いない!

臣下一同の胸の中に不安が過ぎった。

「あ、あの・・・クロヴィス殿下、モロッコとシンガポールには何があるのですか?」

恐る恐る側近の一人が尋ねれば、「あるのではない。やるのだ!」と訳のわからない答えが返ってきた。

「あ、あのぉ・・・もう少し私どもにもわかりやすくご説明をしていただけないでしょうか?一体クロヴィス殿下は何をおやりにモロッコまでおいでになるのでしょうか?」
「性転換だよ!性・転・換!!」
「はぁ?性転換・・・でございますか?あの・・・失礼ですがどなたが・・・その・・・性転換を・・・?」

困った表情を浮かべて、先程とは別の側近が額から噴出す汗を拭いつつ、恐る恐る尋ねれば、「決まっているじゃないか」とあっさりと返され、

「この私以外に誰がいると言うんだね?」

と続けられたクロヴィスの言葉に一同の不安が的中したことを知った。



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